2011年12月30日金曜日

ぼくにできること…3

佐藤忠良記念館に行くことを断念し、
東松島市にむかう仙石線の代行バスが出発しました。

海岸沿いを走るバスは、
入り江を一つ越えるごとに津波の影響をまだのこしている地域を通ります。
養殖用の黒いブイが何百個と並べられています、田んぼに。
バスの右手側に海があるのですが、道の左側に漁船がそのまま残っています。
仙石線の線路は、途中からなくなっていました。
海の中に家が残っています。
地震の影響で海面が上昇し、そのまま潮が引かなくて、海になっています。
この家の周りにあった建物は、津波で流されたのでしょう。
ちょっと開けた場所に出ました。
小学校が見えました。
歩いている人も、自動車も、自転車もありません。
動いているユンボが1台、がれきを運ぶ大型トラックが2~3台動いているだけです。
そこから300mほど走って、バスがとまりました。
ぼくが松島海岸駅で駅員さんにきいた 東松島市の中心的な駅、野蒜駅です。
おりたのは、ぼくひとりです。

バスが行ってしまいました。
すぐそこに野蒜駅がありました。
このときは1時ごろなのに、時計は3時15分ごろをさしています。
津波が来た時間です。
駅のとなりに、メチャメチャになったままのデイリーストアがあります。



駅とデイリーストアのあいだを通って、ホームに行きました。
線路は曲り、鉄柱も曲がっています。
震災から9か月がたっているのに、
ホームはそのときのまま、時間が止まっているようです。



震災・津波のテレビ映像で何度も涙が出ていたのですが、
実際にその場所に立ってみると、
心が空っぽになってしまったような感じになりました。

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